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2013年9月

2013年9月29日 (日)

すもマイ元気です の巻

052

すもだよ

元気だよー

044

マイちゃんよ

10月から、またよろしくね

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2013年9月28日 (土)

2013年7月14日の事

にゃおみです、こんばんは。

ながらく、ご無沙汰しております。

すも&マイは元気にしています。

今日は、報告と自分用の覚え書きです。

全部書いておくのが良いのか、簡単にお伝えするぐらいが良いのか迷っている間に時間だけが経ってしまいました。

かなり、まとまりない文章になると思います。   

ものすごく長くてすみません。

実は去る7月14日に妹が亡くなりました。

享年35歳でした。

乳がんだったのですが、思ったよりも早く旅立ってしまいました。

発病?というか病院にかかるようになってから1年半くらいです。

若い人は進行が早いとは聞いていましたが、若いゆえに?でしょうか、直前まで元気でしたので、未だあまり実感が無いような気持ちです。

妹とは少し疎遠にしていて、東京と(妹)大阪で(私)離れていた事もあり、しばらく連絡を取っていない状態でした。

本当に久しぶりに電話がかかってきた時が、乳がんの報告でした。

泣きながら、「姉ちゃんの方がリスクが高いんだから、今すぐ検診に行って。会社の人にも検診受けるように言って」

と言っていたのが忘れられません。

それから、よく話すようになり、私も少し東京へ足を運んで会ったりしていました。

この時は、もちろん治るつもりで治療を受けていました。

軽く言うつもりはありませんが、切除すれば治るものだと思っていました。

抗がん剤治療を受けて、髪が抜ける不安や悲しみをやっと乗り越えたと思ったのですが、薬が効かないタイプのがんだったようで治療を断念する選択をすることになりました。

この時点で、妹はまだ東京に1人で暮らしていました。

東京の病院の先生と看護師さんに絶対の信頼を寄せていたのと、東京が大好きだったので、関西に戻る事をずっと拒否していました。

母が上京したり私も行きましたけれど、それはまだ妹が行きたい場所に一緒に東京見物をする目的の上京で、妹も大量の薬を飲んで痛みを抑えていたのですが、はた目には病気とはわからない様子でした。

どうしても「奈良(実家)には帰りたくない」と言い張ってた妹は、大阪の緩和ケアの病院にかかる事にし、私と2人で大阪で暮らすことを提案してきて、物件を探す所までいったのですが・・・その頃から少し体力が落ち始めていたので、実家から近い祖父母の家に帰ることにしたのです。これが5月末くらいです。

でも、私達は甘かった。本当に勉強不足でした。

このあたりから、坂を転がり落ちるように体力が低下し、歩行が困難になってきました。

私と2人きりで暮らすなんてとんでもない状況でした。

もし、もう少し早く元気な時に関西に帰って来ていたら、私と2人きりで一体どうなっていたんだろう・・・。

逆に、もしもっと長く関西に帰る事を拒んでいたら、妹は東京で1人で急に動けなくなっていたかもしれない。

本当にギリギリの決断でした。

こんな状況ではあっても、本人の体以外は元気で、「特効薬だから」と6月16日の東方神起のコンサートに行く為、看護師さん達にいっぱいお世話になって上京し、同じタイミングで妹の引越し作業の為に私も上京し、連れて帰ってきました。これが6月19日。

6月20日が妹の35歳のバースデー。

この妹の引越しの荷物ってのが、家財道具など60箱という怖ろしい量!!

以降、私は荷解きと、お見舞いも兼ねて、休みに祖父母の家に通っていました。

別れ際にはハイタッチでまた会おうねの約束をしながら。

1週間ごとに妹の様子が変わっていく感じでした。

それでも、私が聞いていたのは「お正月を迎えるのは難しいかもね」というリミット。

なのに6月末に、親から「早く来て」と連絡があったのです。

私はこの時に「本当に時間がないんだ」って事にやっと気付きました。

実は私、昔大好きだったワンコの死に目に間に合わなかった事があって、ものすっごく後悔していました。

親の時には絶対にすぐ行こう、会社も休もう、タクシーとかどんな手段を使っても早く駆けつけようって思っていた事を、妹の為に使うことになるとは。

幸いこの時は峠を越え、一緒にどらやきを食べてる写真を撮れるくらいまで回復。

このタイミングで上司に報告し、休みをもらいました。

当日は遅番だったのですが、「すぐ帰っていいよ」って言ってくださった課長に感謝しています。

ここで、何日間か一緒にいて、起き上がるのも大変で雛鳥みたいに口を開ける妹に親鳥気分で夕御飯を食べさせたり。

関西に帰ってきてから一歩も家を出ていない妹を車に乗せ、家族で若草山のほうまでドライブしたり。

私が一緒にいたのって、たったこれだけです。

ずーっと母がつきっきりで介護してくれていました。

そして驚いたのが絶縁状態だった父と、あっという間に仲直りしたんです。

口もきかなかったくせに!?

足をさすってもらってる!?

父は今までずっと、「妹が亡くなってからしか会えないんじゃないか」って言っていました。

私はずーっと父と妹の文句の言い合いの板ばさみだったのに。

それをあっという間に覆すなんて!

妹自身も「父ちゃんと一緒にいるなんて変な感じ」って言っていたくらいです。

本当に妹にはかなわないなーって思います。

7月上旬になると、幻覚を見たり、言いたいことがうまく言えなくなってきました。

7月12日に、私に「姉ちゃんの事大好きらしいよ」って言ってくれました。

「大好きらしいよ」ってなんじゃ!もう泣いちゃいます。

この日帰る時、なかなか視線が合わなかったんです。

ハイタッチする時「私を見ろ~」って言いながら無理矢理ハイタッチしたんです。

でも、それが最後でした。やっといて良かった。言ってよかった。たぶん私を見てくれたと思います。

そして7月14日

この日も遅番でした。

父からメールで「お姉ちゃんに会いたいって言ってる」って言われたんです。

父はいつもこんな感じのメールを送ってくるもんだから、実は大袈裟だなって思っていました。

前回も遅番を帰らせてもらっていたし、そう何回も帰れないぞーと思って、母に状況を聞こうと思って電話したんです。

意識が無い状態だって聞いたけど、「夜まで待てる?」って言ったら声は届くかな?と思って妹に受話器をあててもらったんです。

すごい、怖いくらい息が荒くて、喉の奥が鳴るような音を受話器越しに聞きました。

すぐに帰らなきゃと思いました。

17時半くらいに着いたら、妹は待っててくれました。

さっきの荒い息のまま、目を見開いたままでした。

意識は戻らないし、目は合わなかったです。

でも目薬をさしてあげながら、口も渇くからスポンジで口元を濡らしてあげながら、ずっと手をつないでいました。

呼びかけたら、手が動いた気がするんです。

きっと、私が来た事はわかってくれているよね。

小さい頃の運動会のお遊戯のスターキャンディーの歌を耳元で歌ったりしながら、意識が戻るのを待っていたんです。

そしたら、19時くらいに荒かった息が落ち着いてきたんです。

私にはわからなかったんです。

それが旅立ちの瞬間だったなんてわからなかった。

あわてて母を呼び、父が心臓マッサージも人工呼吸もしてくれたけど、戻ってきてはくれなかった。

最後は本当にあっけなかったです。

でもさっきまで見開いていた目を閉じて、苦しそうだった息も治まって、ちょっと微笑んでいる姿は、すごくすごーく可愛かった。

妹をこんなにおおっぴらに 可愛い可愛いって言う事があるなんて思いもよりませんでした。

体も拭いてもらって、生前妹が指定していた洋服を着せてもらいました。

寒い季節まで生きられると思っていたから冬服でした。

でも、最近ずっとパジャマばっかりだったから「あぁ佑美(妹)らしいな」って姿になりました。

お化粧を私がして、自慢の長いまつ毛にも美容液を塗ってあげたら

うーん、なんだか今まで見たことない「女の子」の妹になりました。

最後まで痩せたりせず、ふくふくした姿なので現実味がまったく無かったです。

この姿があまりに可愛かったので、どうしても誰かに見て欲しくなり、私たち家族は葬儀の後にでも連絡しようと思っていた妹のお友達にお葬式に来ていただく事に決めました。

夜中に葬儀屋さんが来てくださり、神社が大好きな妹の希望で神式での葬儀を決めました。

まだ新しい葬儀屋さんで、このあたりで懇意にしている神社が無いとの事。

本社?のある門真の神社も提案されましたが、縁もゆかりもない門真の神社より、この地元をとりあえず当たって欲しいとお願いしたら、本当にとても近くの歩いて行ける距離の神社を紹介してくださり感謝。

この時に大きなドライアイスをセットされ、妹はすごく冷たくなっちゃいました。

でも、ほっぺはぷにぷにしていたし、手を握ったらやわらかかった。

これは出棺前まで変わりませんでした。

夜は家族一緒に近くで寝てあげて、手をつないだりチューしてあげたり。

寝られないんじゃないかと思ったけど寝れましたし、妹の夢とか見るのかなと思ったけど現れなかったです。

翌7月15日、一旦家に帰りすもマイにお詫びをして、喪服を持ってトンボ帰り。

この喪服はもう10年くらい前に作ったんですが、まだ一度も袖を通してなかったんですよね。

まさか妹の為に着ることになろうとは思いもよらず・・・です。

夕方に葬儀場に運ぶ寝台車に妹と乗り込みました。

ひとつ残念だったことは、失礼ながらこの葬儀屋さんの男の人が爽やか男子じゃ無かった事。

男ギライで韓流スター大好きで、更にすごい潔癖症の妹を汗をふきふき手で拭いながら運んで下さったのですが、

「あー佑美が怒ってそうだなー、でもまさか『手を洗ってください』なんて言えないし・・・ゴメン」

なんて思った事はナイショです。

祖父母の家から出て、実家の前を通ってもらいました。

お佑美さんは、上京してから結局一度も実家には帰ってこなかったです。

ホント残念。

その晩が御通夜でした。

急に連絡したにもかかわらず、佑美の韓流仲間のお友達が来てくださって「かわいい、かわいい」言わせちゃいました。

佑美が選んだ最後の衣装は効果抜群で、誰がみても佑美らしさが出ていたようです。

韓国アイドルの写真を胸に入れてもらっていました。

10年以上会っていない従姉妹も東京から駆けつけてくれました。

まだ妹が東京にいた時にも病院にお見舞いに来てくれていたようで、

「自分だったら10年以上も会っていない従姉妹のお見舞いとか行けるだろうか?」ってすごく感謝しています。

お通夜の時も、妹の顔を見飽きるって事が無かったです。

今は見えるところに妹の姿があるからいいけれど、明日火葬してしまったらどんな気持ちになるのかがとても不安でした。

そして、翌日7月16日が葬儀で、今朝も佑美は可愛いまま。

朝ごはんを佑美と一緒にいただきました。

コンビニのおにぎり、お味噌汁、卵焼き。あと門出だから・・・とお赤飯。

祖父母と家族で5人のお葬式。

佑美が生まれた時も、このメンバーで迎えたのにね。

あっ、神主さんお葬式の最中に佑美の事を「ニ男」って呼んだ事、気付いてますからね(笑)

ニ女だもん。妹だもん。

お葬式のお花が、みんな真っ白だったので、祖父母に頼んで、大好きだった祖父のプチトマトと、お庭のお花を切ってきてもらっていました。

お棺にお花を敷き詰めて、プチトマトで水玉模様にしてあげました。

この時点で、お棺の蓋を閉めてしまうんですね。

お顔の部分も開けられなくなってしまいました。

霊柩車には父母に乗ってもらい、私はバスで火葬場へ。

火葬場はショックでした。

入口に入るなり炉が並んでいて、あっという間にお棺がセットされてしまいました。

最後のお別れをして、自動で扉が閉まる時、ものすごく怖かった。

「佑美ちん佑美ちん」って叫んでしまいました。

すぐ葬儀場に戻って10日祭を執り行い。

今ここに佑美がいないのに儀式をするのは変な感じでした。

食事の後に火葬場へお骨上げに戻りました。

お骨を見たときは言葉が出ませんでした。

やはり、放射線治療の影響でしょうか、お骨の状態があまりよくなくて悲しかった。

まだ若いし、いわゆる標本みたいな姿で出てくるのかと思っていたのですが、骨がもろくなって火力に負けてしまっていたのかな。

最後は肝臓に転移していて、ものすごく腫れていたようでしたので、少しその名残というか、粉のように残っていました。

説明を受けながら骨壷に入れてやっとどこの骨かわかる感じでした。

やっぱり姿がなくなるのは、つらいですね。

なまじ、かわいい姿だったので余計にです。

骨壷を胸に抱くと、まだ熱かったです。

母は泣き止まないし、どうなる事かと思いました。

とにかく一通り終わって、実家に連れて帰りました。

神道だと亡くなった方は家を守ってくれるんだそうです。

しかも、仏教だと仏様の弟子になるんですが、神道だと神様になるんですね。

すごいです、最強の守り神です。

何もわからぬまま、佑美の希望だからと神式にて行いましたが、色々勉強になりました。

10日ごとにお祭りをするのですが、20日祭の時は「もう20日か」「でもまだ20日」と色んな思いがよぎりました。

9月1日が50日祭でした。

もう佑美さんは修行を終え、神様になったんだよね。

50日祭では実家の猫ヤマトくんが神主さんの袖にじゃれたり、お払いに使う白いふわふわのアレであやしてもらったりと、ちょっとしたアクシデントで和ませてもらいました。

妹の魂は御霊舎に入り、我が家を守ってくれています。

9月13、14日は父母と3人で東京に行ってきました。

佑美の勤め先、住んでいた所、お奨めの美味しいお店、大好きだった明治神宮などを巡ってきて、少しスッキリした気持ちです。

今、私は毎日、ちょっと驚くぐらい妹の事を思い出しています。

いろんな出来事が妹に結びつきます。

「これ好きだったなー」とか、「ここ一緒に行ったなー」とか。

キレイ好きだった妹が、しょっちゅう「手洗って!」って言ってましたので、神様になった妹に怒られないように手洗いもキチンと慣行。

今はそんなにメソメソはしていません。

もう大丈夫です。

長いこと皆様のブログにもお邪魔できず、申し訳ありませんでした。

次回からは、またすもマイと自分のブログに戻りますので、覗いて下さったらうれしいです。

最期になりましたが、

乳がん(だけではありませんが)検診に、ぜひ行ってください。

本人はもちろんですが、ご家族ニャンコの為にも、ぜひ検診を受けてください。

マンモグラフィーは「穴あけパンチに挟まれる紙の気持ちがわかった」(妹談)って感じですが、治療の痛みや不安に比べれば、何てことないです。

前にも書きましたが、妹は病気になってすぐに私や友人に「検診に行け」と言いました。

それが自分の使命だとも。

どうか、少しでも妹の経験がお役に立ちますように。

長文、読んでくださってありがとうございました。

にゃおみ

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